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男性の初オナニーは未知への恐怖?快感より達成感が強い

PR更新日: 2025年01月21日

初オナニー挑戦する

貴方の初オナニーはどの様な状況だったでしょうか?
夢精は自らの意思で行われる事ではないので省かせていただくとして、大抵の方はご両親から授かった人生において最良の恋人と成り得る『手』を使い、行ったのではないだろうか?

少なとも男性は、日常生活においてプレイベートゾーンへの刺激、衝撃は忌避する気持ちが強いので、女性のように自転車のサドルなどといった副次的な経験はほぼ皆無といっていいでしょう。

つまり、男性の初めては大抵『手』。最初に愛したのは『手』の人が圧倒的多数です。

貴方の所属する会社やサークルの男性の方も、日本を代表するような時の誰々さんも、ほぼ間違いなく最初のお相手は『手』だったはずです。
そんな誰でも共通する初めてのオナニー。皆さんは覚えているでしょうか?
実にお恥ずかしい話なのですが、私は中学生のあの日、あの時、あの場所で起きたことを、とてもよく覚えております。

初めてのモノ

何事も初めてのことというのはよく覚えているものだと思いますが、三大欲求に関連するものは特に覚えていることが多いのではないでしょうか?
例えば、一般的な食卓には並ぶ機会が少ないものを食べたとき。私の年代的にはマクドナルドのハンバーガーなどが該当します。
強烈な睡魔に抗って初めて徹夜したあの日のこと。何かにハマって徹夜したか、悪友とともに過ごしたか。私はよく覚えています。

そして、性に関することはどうでしょうか?
三大欲求と定義されながらも、現代社会からは隔離されている性のコンテンツの数々。

現代ではネットの発展により小学生でも知り得ているという驚きの事実を確認できますが、私たちの世代ではいかに早く性に触れるかは武勇伝となり得ることでした。

セクシー写真集のエロ本と衝撃

私の中学時代に友達同士を騒がせていたのは、今やコンビニなどでは気軽に手に入ることのできなくなったセクシー写真集のエロ本が主でした。

残念ながら私の家の近くには河原も山も無かったので、見知らぬ性の伝道師からの授かりものというのは落ちていませんでしたが、不思議なことにその手の雑誌は学校に持ち込んでくる友人が何人か居たものです。

私と今も友好を深めてくれているある友人の「これエロ本だよね」という言葉とともに向けてきた笑顔を、私は忘れることができません。

さらに、写真集のようなエロ本だけでなく、今や普通のジャンルになったエッチな漫画というのも存在していました。
その頃からエッチな同人誌などはありましたが、恐らく同年代の情緒をかき乱していたものは、『ふたりエッチ』であることは想像に難くないです。
あの本は、私たちの教科書であり、指南書であり、バイブルであり、青春でした。

潔癖症の方は到底信じられないかもしれませんが、あの本をさまざまな友人間で回していたのです。誰が、いつ、持ってきていたのか分からないものも多かったものです。

そして、それを元に性の情動を覚醒させ、自宅にて家族の目を避けながら一人情事へと至る。
発見されることを許されない緊張感で行うスニーキングミッション、いえ、スニーキングオナニーが、大抵の初オナニーであることでしょう。無論、私もその一人です。

深まる性の自覚

勃起をごまかすため手をあてる人

男性は初めてエロ本を手に入れて家に持ち帰ることと、初オナニーは同じ意味を持ちません。
どういうことかというと、性的な刺激を受けて、確かに変化する部位があるのですが、それがどの様な状態で、何の意味を持つのか、と自覚をするには時間差が有ります。

個人差はあるでしょうが、私の場合は性的刺激物を手に入れてから発散に至るまでに、おおよそ一週間近くかかりました。

近年では性的な知識に限定された話でなくとも、さまざまなものをセットで教わる、もしくは知ることのできる情報媒体が多いので、性的刺激物の入手と発散の期間はそう長くはないと予想できます。

ですが、私たちの時代は正しい知識を仕入れるのはなかなか難しく、手探りでありました。

ダイヤル回線が終わり、ADSLが普及しつつある時期でもあったのですが、メール一通に何十円という時代でも有り、ネットで気軽に情報を探すということはできませんでした。
確実に知っているであろう大人に聞くことなんてとんでもない!
というのは、無論、中学生の身の上でも認識はしていました。

情報を知る機会が限られている状況では手探りでやるしかありません。
この手探り、というのがどれぐらいの手探り具合だったかというと、

「え?お前、オナニーできたの?どうやったの?」という言葉を、親しい友人・同志に真顔で聞くという事案が発生していました。

「上下に擦ってれば出るよ!」などと笑顔で言われたことを覚えています。

今の時代でも、社会的な羞恥心が育まれていない頃の年齢同士なら「へへ、自分、初めてしちゃいました」ぐらいのやり取りはであるでしょうが、私たちの時代は導入の仕方と方法から真剣に聞く必要がありました。

手探りで情報を集め、受けた刺激の情動を正しく認識し、初めてのオナニーに至る。
今でこそ酒の席の肴ですが、当時はこんなとんちきな会話があったものです。

ちなみに、私は何人かの友人に真剣に聞きました。
事前に読み込んだ性的刺激物の内容、実際にいたした場所など、本当に真剣に聞いたのを覚えています。
ですが、実際に事をなしたい時の方法として帰ってくる答えは

「擦ってれば出るよ」という感想以外に聞いたことはありませんでした。

初オナニーは未知への恐怖

擦れと言われているのだから擦ればいいだろう、と思われる方も多いでしょう。特に女性の方は。
情報が少ないとはいえ、なぜわざわざそんな恥ずかしいことを聞く必要があるのか?
実は男性の場合は明確な理由があります。

女性の場合は、日常的な動作から刺激を得る経験があるかもしれませんが、先に記した通りに男性は日常生活で性の快感に触れる様な機会はまず訪れません。
男性は、自らの股間は基本的には十二分に危機管理が必要な場所として認識しています。
つまりどういうことかというと、エロ本などで衝撃を受けて、いざそれを発散しようと初めてのオナニーを試みるときに感じるのは、期待や気持ちよさではなく、恐怖なのです。

男性は性的な刺激を受けると、その証拠に勃起をしますが、性の知識が薄い状態ではその理由がわからず、ただ弱点部位が巨大化しただけという認識の頃も有ります。
意外かと思われるかもしれませんが、肥大化した状態が恥ずかしいと感じるのは初オナニーの後なのです。

初オナニーという殻を破らない限り、男性の勃起は弱点の露呈以外の何物でもありません。
初オナニーに至るまでに、男性が明確に体感してきた恐怖があるのにも関わらず、初オナニーの時はその弱点をそれなりに強くいじれ、と求められるのです。
それが、男性の初オナニーなのです。

男性の初オナニーは恐怖との戦いといっても過言ではありません。

一度や二度の失敗はあり得る

失敗した男

恐怖を乗り越え、いざ意気込んで初オナニーに挑む。
しかし、それは恐怖を乗り越える以外にも待ち受ける困難が有ります。
それは、出ないことです。
もう少し砕けて言うと、発射しない、ということになります。

性的刺激を受け、臨戦態勢と成り、いざ行こうと動作を始めたとして、出るわけではないのです。
この理由は、股間からの発射の仕組みや、適切な方法などを理解していないということも大きいですが、そもそも初めてのことなので、結果がすぐ出ない事柄というのは半信半疑に行ってしまうのは人の常でしょう。

知識不足と理解不足による発射の失敗。
私の場合は3度ほど経験した失敗談になります。
なぜ発射しないのか?何が悪いのか?ナニが悪いのか?
言われて通りの手順は踏んでいるはずなのにもかかわらず、です。
刺激を受け、擦り、出す。
たった三手順だけ、三手順だけの話の筈なのに出ない。
出ない、という事実を確認すると、感動や恐怖の前に純粋な疑問が浮かびます。
本来、オナニーは快感を得ようとする行為のはずですが、出ないという事実が何度か続いてしまうと、自身の体に欠陥があるのではないかという疑問が浮かび上がってきます。

出そうとする過程で確かに上がってくるものがありますが、どうしてもそこで止まってしまうのです。
言われた通りにやっているはずなのに伴わない結果。
失敗の結果が何度か続くと、そもそも何か手順を間違えているのではないか?
この事実の積み重ねが、友人に初オナニーのやり方を真剣に聞いて回る理由となるのです。

それでも挑戦し続ける情熱

本来、一度失敗したものはできないものとして切り捨てるか、それなりの時間を置いて挑戦するのがベターだと思います。
モチベーションという概念が人間には有り、失敗という事実はモチベーションを下げてしまいます。

しかし、初オナニーへの情熱は連日消えませんでした。
申し訳ないことに、明確な理由は今でも分かりません。
溢れ出る性への情熱が断念を許さないのか、それとも周りの成功体験に焦りを感じているのか、自分でも分からず終いでした。
確かなのは『初めてのオナニーがしたい!』という情熱が、心の底で燻っている感覚でした。

初オナニーがしたいという情熱は、行動によって現れました。
めげずに再び情報収集をし、妄想で擦る練習をし、リトライを決意する。
この過程を経て、初オナニーは成立するのです。

初オナニーの場所

話は変わりますが、初オナニーに向いた場所や状況というのはなかなか難しいものです。
一般家庭では場所の選択肢は限られてきますが、状況は狩り続けるシビアな環境です。

家庭の状況により差異があるので、初オナニーの場所は絶対にここだ、という定義はできませんが、大抵の場合はお風呂場が該当すると思われます。

理由は、お風呂場でのオナニーはメリットが多いからです。
お風呂場は密室であり、さまざまな処理が楽に行え、流水の確保が容易だから、といった理由があります。
擦る、という行為に付随するさまざまな音も、シャワーの音で相殺させることが可能です。
私も例に漏れずにお風呂場でした。

お風呂場のデメリットとしては、初オナニーの仲間となる物を持ち込めないことです。
今でこそ耐水スマホや、お風呂場にテレビの設置など多彩ですが、当時の状況に高度文明の叡智であるデジタル機器は、油温設定などのリモコンだけでした。

ではどうすればいいのかというと、事前に読み込んだ性的刺激物を頭でリフレインさせることです。
脳内の性的妄想は年を重ねるごとに減少していくパラメーターです。
しかし、中学生ぐらいの年齢であれば、頭の中だけで最大限の性的興奮を用意することなど造作もないことです。
資料確認、状況確保といった事前準備をおえ、準備万端いざ発射、とお風呂場へと向かうのです。お風呂場に向かう前からの臨戦態勢。家族にバレるわけにはいきません。
最新の注意を払い、衣服を脱ぎ捨て、いざ出陣。

未だ知り得ぬ未知への期待を胸に、私はお風呂場に向かっていました。

初めての成功

成功を強調するビジネスマン

お風呂場に入った瞬間にシャワーを出し、事前に読み込んだ性的刺激物をよく思い出します。
あんなことやそんなこと、えらいこっちゃな展開を。
そして、右手で下半身の逸物を包み、その皮を上下に動かします。
オナニーをするしない関わらずに、何度もイジった相棒ですが、数度目のトライを経てなお、まだこの頃は力の加減ができておりませんでした。
強すぎてもダメ、弱すぎてもダメ。繊細な相棒には困ったものでした。

しかし、当日の私は、意を決して友人に聞き込みをし、当時手に入った叡智を頭に詰め、実際に行動に起こしているのです。
下半身から湧き出てくる情熱は、たしかに存在しているのです。
諦めたくない、今日こそは。
逸物を優しく包んだ右手を、上に下に、思い出しながらリズム良く。何度も、何度も動かしました。

裸体を思い出しながら、自らの裸体を震わせます。
すると、少しずつ込み上がってくるものがあります。
確かな情動。しかし、ここまでは何度か失敗の上で経験しています。
欲しいのはその先でした。出た、という結果でした。

その日、前回まで諦めていたであろう期間を超えて、私はまだ擦っていました。
なんだ、今日は何かが違う、これは?
と、考えているときでした。

下半身から飛び出してきたなにか。
びゅっ、びゅっ、びゅっ、と連続して吐き出される白い液体。
時間にしては5分ほどだったと思いますが、何十回目かの擦り運動の結果により、私は初めてオナニーを致すことに成功しました。

白い液体が確認できた時、私は確かなものを感じました。

未だ忘れ得ぬ達成感

成人向けのアダルトビデオなどでは、発射のタイミングは演者の掛け声により分かります。
今でこそ、私は発射前の感覚を熟知しておりますが、初オナニーの時は『気付いたら出てきた』という感覚に陥りました。

そこに発射を我慢なんて言葉はなく、自らの逸物を擦り続けて得た結果だけを認識できました。
気持ちよかったのでしょうか?
確かに気持ちよさはあったと思います。
尊厳が満ち溢れたのでしょうか?
確かにもう友人に聞き込みをする必要はありませんでした。
悦びに満ち溢れたのでしょうか?
確かにありました。

しかし、私は今でも強烈に覚えていることは一つ。
それは成し遂げてやった、という達成感でした。

初オナニーの結果が吐き出された時、10秒ほどは放心したことを覚えています。
気持ち良さを体感する前に、やっと出てきた、という安心感もありました。
性的対象の方を抱いたわけでもないのに、私は自分でも説明しきれない不思議な自信を持ちました。

お風呂場ということもあり、匂いの実感はありませんでした。
いえ、もしかしたら、あまりの感動に匂いの機能は麻痺していたのかもしれません。

初オナニーを経験した後で

初オナニーの感動が落ち着いてきた後、戦場に吐き出された結果をすぐさま洗浄しました。
お風呂洗剤をこれでもかと吹き付け、証拠の隠滅を図りました。
絶対にバレてはいけない。これだけは心の底から感じておりました。

その後、何事もなかったかのように体を洗い、戦場を後にしました。
その日私は、致してやった、という気持ちを胸に、気持ちよく就寝しました。

以上が、私の初オナニーの戦歴になります。
初オナニーはお風呂場以外でも、ティッシュに出したり、トイレに直接出したりとさまざまなパターンの方が多いでしょう。
しかし、『初めて出した感動』を持ち得ていることは、恐らく共通の見解でしょう。
動物である以上、性的な刺激は避けられないものです。
可能であれば、これからの盛大にも初めての性的刺激が感動に当たる事柄であることを願います。

余談ですが、お風呂場で致すのが面倒になった後、下着に直接出すという愚行を繰り返した私が、後日母親が免責を貰ったことを付随して書き残します。

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